石川遼、アマチュア時代の戦歴

6歳の時に父親と行ったゴルフ練習場がこの世界にはいるきっかけになった。但し、小学校ではサッカー、中学では陸上部に所属していたのである。最も小、中学校でゴルフ部がある所は稀なので、サッカーや陸上はゴルフの基礎体力をつけるという意味合いが強かった様だ。
主な戦績は2004年に全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。2005年関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会を優勝する。高校生となった2007年に行われたマンシングウェアオープン KSBカップで、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成したのは記憶に新しい。
男子ツアーでのアマチュア優勝は「中四国オープン」で優勝した1980年、倉本昌弘以来で史上2人目であった。この優勝は世界最年少優勝記録(15歳245日)としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。同年7月に行われた世界ジュニア選手権に出場し個人23位。8月、霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権 男子15歳〜17歳の部で大会史上最年少の15歳11ヶ月で初優勝し、そのスコアは大会レコードタイとなる3日間通算9アンダー。直後のフジサンケイクラシックでは、3日間通算1オーバーの214で15位に終わるがローアマチュアを獲得した。東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでもローアマチュアを獲得する。
また、アマチュアとしては、その年のツアー優勝者に出場資格のあるゴルフ日本シリーズJtカップに初めて出場した。この年はプロツアー8試合に参戦して5試合で予選を通過する活躍を見せた。

はにかみ王子フィーバー

プロ大会のマンシングウェアオープンKSBカップの優勝インタビューでの言動から「ハニカミ王子」というニックネームが付いた。ちなみにその名づけ親はこの大会のテレビ中継を実況したアナウンサーである。
石川遼の活躍が評価され『ハニカミ王子』が2007年の流行語大賞に選ばれる。2007年の全米オープンの開幕前の会見でテレビ朝日の記者がタイガー・ウッズとフィル・ミケルソンに「ハニカミ王子知ってる?」と質問し、産経新聞に「メジャーの舞台では全く場違いな質問であり、世界中の記者から失笑がもれた」と報じられた。
また、2007年関東アマチュアゴルフ選手権にて、TBSが石川に取材を試みようとし、同伴競技者に小型マイクを装着する依頼を行ったが依頼は通らず、その選手は大会主催者に報告をした。
また、同日にTBSのヘリコプターを大会中に飛ばし、プレイを妨げる事件が起きた。等々、本人が関与してないエピソードの多い石川遼の人気ぶりである。低迷する男子ゴルフ界のニュースターである事は間違いない。

石川遼、そのゴルフの魅力は

石川遼の魅力の一つに飛ばし屋だという理由がある。何とあの体格で、平均飛距離300ヤードを超えるというのだ。ドライバーの飛距離を支えているのは、陸上で鍛えた強靱な足腰であろう。まだ若いので上半身の筋力が整った時の飛距離が更に楽しみである。
また、その強気なプレースタイルが見る側の興味を失わせません。最後まで諦めず攻めの姿勢を貫くスタイルで、積極果敢にバーディーを狙っていくゴルフが身上です。時には無謀と思われるプレーをするプロが少なくなった現代ゴルフの中では、やはり魅力があります。プロ転向後もそのプレースタイルを貫き、常にTVに移る様な活躍をしてほしい。
決して小さくまとまった選手にはならないでほしいです。明日のゴルフ界の為に頑張れ、はにかみ王子、石川遼!!

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